児玉隼人(こだまはやと)氏は2026年で17歳。
日本で言えば高校生にあたります。現在はドイツのカールスルーエ音楽大学のプレカレッジで学んでいます。
父親も母親も音楽家であり、恵まれた音楽環境の中で、小さい頃から注目を浴び、メディアや映像で大活躍のクラシックトランペット奏者です。
さてどんな環境で育ち、いつ頃から天才ぶりを発揮するようになったのでしょうか。
まずはお父様から。どんな方なのでしょうか。
児玉隼人の父親は?
児玉隼人氏のお父様は鹿児島県のご出身で児玉隆也さんとおっしゃるチューバ奏者。
チューバは金管楽器で一番低い音を担当し、上向きのベルを持ち抱えながら演奏する大きめの楽器です。
音が鳴る仕組みはトランペットとほぼ同じ構造で、マウスピースという唇に当てる部分は同じです。
お父様は隼人さんが5歳の時 コルネットという小型のトランペットに似た楽器を贈りました。クリスマスだったので当時はサンタさんからということになっていました。
お父様は東京音楽大学をご卒業した後、ニューヨークに留学されその後日本に戻りご結婚を機に、北海道の釧路に移住をしました。
その後しばらく経ってヤマハの北海道音楽普及担当として、働くようになるのですが、そのころ音楽を教えるにあたって大切なことをこんな風に語ってくれています。
音楽家をもっとも育てるのは、毎日吹きたくなるような楽しさをつくること。
それは教え方によって変わるという、恩師から学んだことでした。
自分が関わることで金管楽器を学びたい子が学べる環境、音楽好きを増やす環境を手助けすることができるのではと思ったんです。
引用:HATARAK I GRASHI https://adv.hokkaido-np.co.jp/hatarakigurashi/omoshirobito/vol18/
小さい頃からプロの音楽家であるお父様に教えてもらっていた環境で育ってきたのです。
そんなお父様なので、隼人さんにとっては憧れであり、最初の師匠だったと考えられます。
お父様の「毎日吹きたくなるような楽しさをつくること」が今の隼人さんを作り上げたといえると思われます。
そして隼人さん自身もなぜトランペットをやっているのですかというインタビューには「楽しいから」と答えていらっしゃいます。
その後6歳ぐらいの時に世界的トランペット奏者のアンドレ・アンリ氏に会う機会があり、「いつか一緒にデュオコンサートをしよう」と声をかけられている映像が残っています。
普通ではコンサートを聴きにいって楽屋に入ることなど考えもよらないので、きっとこれもお父様の導きなのではないかと思います。
その時のことをこんな風に言われています。
この「約束」が今も自分の中で大きな目標となりトランペットを続ける原動力になっていいます。
この体験が音楽家になりたいと思うようになった原点です。
引用:YAMAHA MUSICFOUNDATION https://www.yamahamf.or.jp/activities/support/music/report/hayato-kodama/
そして10歳の時に美しいハイトーンで知られる「ラインホルト・フリードリヒ」先生に出会います。
交響楽団が来日した時に会いレッスンを受けています。この時隼人氏は「いつか必ずこの先生のもとで学びたい」と思ったとのこと。
これもまたきっとお父様が導いてくださって、そんな出会いを実現させてくれたに違いありません。
もしかしたらお父様は全力で支え続けながら、ご自分の思いをも隼人氏に託されたのかもしれません。
そんなお父様と息子の隼人氏のことを母親はどう見守っていたのでしょうか?
児玉隼人の母親は?
お母様は児玉理恵さんといい、なんとお母様も音楽家でした。
しかもトロンボーン奏者でありお父様と同じ東京音楽大学をご卒業されています。
トロンボーンも金管楽器であり、マウスピースもトランペットとほぼ同じものです。
スタジオクロックも吹奏楽部でしたので、トランペットの練習風景をよく見かけたのですが、金管楽器の練習にマウスピースだけでブーブー吹く練習があります。
そうした意味ではお父様だけでなくお母様も教えていた可能性もありますね!!
音楽一家なので常に音楽が流れ、お腹の中で隼人さんはクラシックを聞いていたのかもしれません。
実は隼人さんにはお姉さんと妹さんもいらっしゃって、しかもお姉さんはホルン吹き、妹さんはユーフォニウムというチューバをもう少し小さくしたような金管楽器の奏者という情報もあります。
金管楽器一家ですね!
みんな合わせたら5本のブラスアンサンブルが可能というすごいご一家です!!
この環境が隼人氏の才能を開花させたのだと理解できます!!
そうした環境で育った隼人氏はどんな学校に通っていたのでしょうか?
児玉隼人の高校は?
隼人氏は2009年に北海道の釧路市で生まれています。
そこから小学校は釧路市内の小学校で過ごしていました。
中学校は1年まで地元釧路で過ごし中学校2年で神奈川県の相模原市に移住します。
お姉さんの音楽教育がきっかけという情報もあります。
蛇足ですがお父様は神奈川県にあるズーラシアという動物園の「ズーラシアんブラス」という管弦楽団の初代チューバ奏者という情報もあり、もしかしたらその辺りのご縁なのかもしれません。
これは完全にスタジオクロックの妄想です。
そして相模原市大野台中学校に入学します。その間小学生高学年から中学2年生コンクールで優勝したり、CDをリリースしたりと大忙しの隼人さんです。
そして中学校を卒業し高校生となるのですが、なんとドイツのカールスルーエ音楽大学のプレカレッジに留学します。
カールスルーエ音楽大学には、隼人さんが10歳の時に「この先生に習いたい」と思いを馳せた「ラインホルト・フリードリヒ」先生がいらっしゃいます。
隼人氏のハイトーンの美しさはライホルト先生の教えによるものかもしれません。
隼人さんは身元引き受け人として先生になってもらい、日本人である先生の奥様と同居して学校に通っています。
隼人氏の信念と思いが素晴らしかったとともに、やはりお父様とお母様のご理解と支援の賜物ではないかと敬服いたします。
まとめ
2026年ドイツでさらに技術と感性を磨かれている児玉隼人氏。
メディアやコンサートも世界で行われ高い評価をえています。
またジャズトランペッターの松井秀太郎氏と演奏を楽しんで知る映像も見受けられます。
今17歳ですので、ものすごい伸び代を感じます!
これからどんどん素敵な演奏をしてくれるに違いありません。
これから目が離せません!!
松井秀太郎


コメント