プロフィール

管理人名 「studioclock 」の由来

この「studioclock」という名前の由来は「スタジオの時計」から来ていて、月に一回バンドの練習をスタジオで仲間とやります。

だいたい2時間が通常。日曜日の昼下がり、時計を見ながら後20分だからあと2曲ぐらい練習できるかなーとか思っている自分を思い出して思いつきました。

その後はもちろん 飲み会です。。

4歳からオルガンを習い始める

田舎ですが、音楽の好きな家に生まれ、話によると父親は趣味でギターやマンドリン、ドラムなど、マルチに演奏できる人で、学生時代はバイトで昔のダンスホールとかで演奏していたそうです。

母親は日舞の先生もやっていて、時々発表会がありました。

そんな環境で4歳ぐらいの頃、幼稚園でヤマハかカワイの音楽教室でオルガンを習い始めました。

その頃はよくわからず、行かされてた感じで、泣きながら鍵盤弾いてましたが、そのうち面白くなり結構すんなり曲を弾いていたようです。

小学校に入り本格的にピアノを始めるも親の転勤で一旦終了

いい感じでピアノを練習していたのですが、父親の転勤で中断されます。

10歳でバイオリンを習い始める

10歳ぐらいの時、父親が持っていたレコードの中で、「メンデルスゾーン」の「ツィゴイネルワイゼン」を聞き、身震いするような感動があり、「自分からバイオリンを習いたい」といい、地元のバイオリン教室に通い始めます。

ピアノである程度音感が身についていたので、比較的すんなり吸収したようです。これには親に感謝しています。「筋がいいねえー」と褒められて、頑張っていたのですが、これまた父の転勤で一旦終了となりました。

中学生の時はフォークギター片手に、歌い出す

そして中学生になった13歳頃 世の中はフォークブームでしたので、私もフォークギターを独学でやり始め、学校の学祭でバイオリンとのデュオで演奏したりしてました。

井上陽水や吉田拓郎の時代ですね。

そこそこ好評だったようです。

と、しばらくすると父親の転勤がまたあり、ギターは独学だったので、今でも地味に弾いたり歌ったりしてます。

これは現在もカラオケに非常に役に立っております。

高校時代は吹奏楽部に入部

16歳となり、高校の普通科に入学します。

ここでは、吹奏楽に入部します。楽器は何にしようかと考えていましたが、トランペット、クラリネット、ドラムかフルートですが、ほぼ埋まっていました。

その中で、背の高い男の先輩がピッコロを弾いている姿を見て、好印象でしたので、ピッコロより少し大きな「フルート」にすることにしました。

フルートは華奢なので、男性がやることは当時珍しかったのですが、高音が綺麗で意外に目立つので気に入ってました。

フルートパート全員が女の子だったことも当時高校生の私には、いい思い出でした。

大学時代はジャズ系の軽音楽部に入部。

なんとか大学に入り、入学式の日。

いろんな部の勧誘が真っ盛りでした。運動は中学時代にちょっとだけテニス部に入部したものの基礎練がきつかったのと転勤で終了したので、運動部はパス。

しばらく構内を歩いていると金ピカのサックスを持った先輩が声を掛けてきました。

「君、部決まった?」

「いえ、今検討中です。」

「そう、じゃ軽音やってみない?」「これちょっと吹いてみて!」

と渡されたのは、アルトサックスで、吹いてみるとなんと、音が出ました!

「お、いいじゃない!」っておだてられて、吹いてみると、結構音が出ました。

そうこうしているうちに、サックスとフルートはほぼ運指が、同じことに気づき、吹奏楽部でやってた曲を吹いてみると吹けました!

これには先輩もびっくりして、

「最初から吹けるなんて、すごいよ!!」とこれまたおだてられ、まんまと入部することになりました。

新入生相手の演奏会に飛び入り参加!!

しばらくして軽音楽部の部長さんが来て、私の初めてサックス吹いてるのを見て、とんでもないことを言い出します!

「君さ、明日 新入生相手の歓迎ライブがあるんだけど、出てくれる!?」

「えー? は? ど初心者の私がですか?」

「大丈夫、大丈夫!」

とおだてられて、何もわからないままライブに出ることになりました。

わかりやすい曲でしたが、テーマを何回も演奏しながらアドリブを取るんだってことが

吹きながらわかり、アドリブもその時が本当に最初のアドリブでしたが、なんとなくカッコがついたような気がしました。

演奏中に電源ブレーカーが落ちる!

その時です。

突然部屋の電源ブレーカーが落ちます。古い校舎なので時々あることらしいのです。

突然電源が切れたことで、エレキギターやベースが鳴らなくなります。それにつられてドラムも止まります。

気づくと、私だけが懸命に吹いているではありませんか!

状況のわかっていない私はとにかく、無音は白けてしまうので、まずいのではないかと思い、アドリブを続けました。

数十秒後、電気が回復し、私のフレーズに合わせて先輩たちがテーマを演奏し始め、まるで図ったのように曲が流れエンディングを迎えました。

これは、かなりできるソリストがやる手法で「ブレーク」というのですが、一旦 全部の楽器が止まりソリストが自慢のアドリブで魅せるやり方で、その後テーマで終わるという結構高度な手法です。

それが図らずもうまくいき、感動的な演奏となりました!!

後でこれが「モーニン」という有名な曲で、テーマを回しながらアドリブを回すというのがジャズの基本構成だと教わりました。

最初に言ってよ!

先輩からSelmer MarkⅦを譲り受ける

大学1年の時、今はヴィンテージと言われるほど古いアルトサックス「Selmer MarkⅦ」を先輩から破格で譲り受け、今も大切に使わせていただいています。

大学1年の時 なんと 「定期演奏会」にソリストで出演!

その流れでその年の「定期演奏会」にソリストとして出演するという快挙でした。

大学生活はあっという間に過ぎ、就職をどうするかという段階とありました。

サラリーマンの家庭でしたので、プロになるということは思いもつかず、時代的にも、親も時々話していて「音楽で飯は食えない」という風潮があり、デザイン系の会社に就職することになります。あのまま頑張って音楽やっていたらどうなっていたかと時々思います。。

寿バンドで演奏

会社に入って、毎晩徹夜続きで、今思えばかなりブラックな仕事ぶりでしたが、時代が良かったので面白い会社生活でした。

そうこうしているうちに、同僚とか先輩とかの結婚式の余興に、演奏依頼が舞い込みます。

デザイン系会社なので、結構楽器をやっている人が多く、メンバーが揃ったので、やることにしました。

その後いくつか転職しましたが、その度にメンバーを変えながら、ウン10年!

趣味で、今も少しづつバンドを続けているアマチュアサックス吹きです。

最近は、仲間のバンドに合わせEWIもトライアルしてます。

■当ブログについて

当ブログはそんな私の経験と最近の気になるミュージシャンや映画の中で使われる音楽情報を中心に発信していきます。

時代の流れとともに、ジャズやフュージョンはちょっとずつ形を変えて、暮らしの中に入ってきた気がします。

音楽が少しでも暮らしを豊かにする1つのきっかけとなりますように、願っています。

 

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