現在 アメリカボストンの名門音楽大学、バークリー音楽大学に留学中の村越葵さんをご紹介します。
村越葵(aoi murakoshi) 「BiCOLORE.」(ビコロール)がデビューライブ!
現在18才の村越葵さん。2024年札幌の札幌南高校を卒業し、なんと4月にデビューアルバム「bicolore」をリリース。
在学中にレコーディングしたということですよね!
なんでも高校3年生の6月ごろ、まだ日本の音大への進学を考えていた頃。お世話になっていたジャズクラブのオーナーさんが東京にある事務所の社長さんに「葵」さんのことを紹介。
この社長さんが、なんとソロでも、「ジャズアベンジャーズ」でも大活躍の「米澤美玖」さんをプローデュースした「小川悦司」氏です。
社長の声がけで、「高校卒業して東京に来るなら、その前にアルバムを出しませんか」というお誘い!
すごいアプローチですよね!さすがの目利きです!
周りの方々に相談して12月からアルバム制作開始です。
アルバム収録曲は、短期留学用に書ためていた1曲と新曲のオリジナル。
アルバムの名前は「2つのピアノトリオととの共演」がテーマなので、フランス語で2色の意味がある配色技法(ビコロール)の案を提案して、粘り勝ちで決定。
そして4月25日 デビューアルバム「BiCOLE」がリリースされました! パチパチ!
その後リリースライブは札幌のライブハウスで開催!高校の先生方も見にこられたそうです!
とってもいいスタートですね!!
村越葵 使用楽器は?
使用楽器はアルトサックスで、はっきりとした記述はないのですが、音の感じと見た感じは、多分 セルマーかも?と推測します。
ミュージシャンの方はずっと同じ楽器を使い続ける方と音色や場面によって持ち替えでやられる方もいるし、今アルトですが、テナーやソプラノの時は、他のメーカーにしたりすることがあります。
特にビンテージの例えばセルマーⅥやセルマーUSAなどの楽器になると部品そのものが手作りなので同じメーカーでずっと使い続ける方が多い感じがします。
楽器は個体差が多いため、同じメーカー、同じシリーズでも音が違うので、この辺が手作りのいいところでもあり、難しいところでもあります。
小ネタとしては、ご存知の方も多いかと思いますが、セルマーにはフランスセルマーとアメリカセルマーがあります。というかありました。
もともとは1885年アンリ・セルマー氏(Henri Selmer)が、兄弟(アレキサンドル)セルマーパリ社を創業。
アレキサンドルはアメリカに渡り1904年に兄の楽器を販売するために、セルマーUSAを創業。フランスの部品を使用しアメリカ組み立てる流れで製造販売をやり始めたのが最初です。
村越葵 高校は? プロフィールは?
葵さんは23年までは高校生で18歳です。
高校は札幌南高校です。
こちらの学校はミュージシャンのピッチカート・ファイブ小西泰陽氏やパラダイス山元氏も出ているほか経済界や政界にもたくさんの著名な方がいらっしゃいます。
葵さんがジャズミュージシャンになることをはっきりと決断したのは、高校2年の5月。
高校2年生の時、札幌芸術の森で開催された音楽イベントに参加し「バークリーアワード」という賞をもらいます。
そこから高校3年のときバークリー音楽大学のオーディションに合格。
サマースクールを授業料全額免除で参加、その後バークリー音楽大学の入学応募に参加し、様々なハードルをクリアして、奨学金と合格通知を手にします!
そんな葵さんが音楽との出会いは小学生3年生の頃。
引越し先の夏祭りで、小中学校生で編成されたジャズスクールによる演奏でした。
その秋からアルトサックスで参加することにしました。
札幌に引っ越ししてから札幌のジャズスクールに通います。
札幌はジュニアの時のいいスクールがあるんですね。
スクールのメンバーで「snack time」という4人でバンド活動を始めました。
映像を拝見すると、初々しい感じがありますが、フレーズなどはとても中学生とは思えないサウンドでした。学校の教え方がいいんでしょうか??
中学3年生になり、高校の進路を決める時期。警察官になりたいと思っていたので高校も大学も見据えて選ぶ予定でした。
この頃には「ジャズミュージシャンになりたいかもしれない」という気持ちがありました。
高校生になり、ライブ活動を通じて自分の演奏やテクニックを考えるようになりました。
まとめ
・村越葵は最初警察官になりたかった
・ジャズミュージシャンになろうと決心したのは、高校2年生の6月
・高校3年生の時、アメリカのバークリー音楽大学に全額授業料免除で合格。9月より現在も留学中!
・留学前の24年4月 ファーストアルバム「BiCOLORE」をリリースし同時にデビューライブを開催!8月までアルバムリリースライブを全国で開催!!
これからも目が離せません!
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